千石100年の庭と家

文京区は千石で、昔ながらの家と庭の残る暮らしを小さく続けるための試みです。

6月のご報告

 週に1回ぐらいは更新しよう、と思っていたのですが、気づけば一月が経ち。

 暮らしぶりも含めて憧れていた岐阜の祖母が先月、他界しました。天寿で老衰、数年かけて覚悟はしていたのですが、まだそこに慣れない日々です。四十九日には少し落ち着くと言うので、ちりぢりばらばらになった思考のかけらと、ぼうっとした魂を結び合わせるような気持ちで、普通の毎日を送ることにしています。

 

 祖母の家は田舎の本家(ほんや、とうちの地方では呼びます)だったので、溢れんばかりの布団と座布団、お茶碗が用意されています。いつでも親族郎党が集まって、数日泊まってもいいように。実際にみんなで泊まりに行けたのはいつかしらと、「テレビばっかり見てるのよ」と話してた、元気だったときの祖母のことを思います。大工さんが精出して作ったあの家も、いっとうお気に入りだった墓地も、静かにたたんで人におゆずりすることになりそうです。

 

 帰省をしながら、物質的な豊かさと精神的な豊かさのバランスについて考えていました。かつては、お金、経済、物質と、精神、魂、文化は互いに極同士、交わらないとされていた時期もあったと思います。その極北が大東亜戦争「欲しがりません勝つまでは」と、高度経済成長でしょうか。時代は下り、私たちの時代には、両方のまじりあった、ひとりひとりにとっての最適なバランスを模索する時期に入っていると思います。自分にとっての豊かさの基準はなんだろう、と、個人的にも考えはじめています。

 

 ひとつご報告。今年度の文京区景観づくり区民委員になりました。社会的包摂の観点を含んだ美しさを、景観づくりの中に提案したい、と作文を書き。具体的なお仕事はまだなのですが、「美しさ」「豊かさ」とはなにかを、まちのハードとソフトのあいだに橋を架けるように、考え続けられたなら、と思っています。