千石100年の庭と家

文京区は千石で、昔ながらの家と庭の残る暮らしを小さく続けるための試みです。

引越しのこと、もうすこし

「あれっ、終わるんじゃなかったの」というところでしたが、もう少し、書きたいことがあるときに、ときどき書こうと思いました。個人ブログのこういうところが良いところです。終わりもないし、はじまりもないような、無時間性にもつながる気がする、、、とは、言い過ぎですが。

 

私にとって今回のお引越しは、とりわけ感慨深いものがあります。「夢にまで見た長屋生活」と知人が評してくださいましたが、まさにそのとおりで、文京区の木造ぐらしを夢見て上京したものとしては、こんなに素敵なお家にいっときでも住まわせてもらったことに、感謝の念しかありません。今でも千石のまちを子どもと歩けば、こんなこともしたかった、あんな人にもお話伺いたかった、と一つ一つ、思いが連なっていきます。もうひとりふたり赤ちゃんも迎えて、この街で子どもたちと家族とみんな、育っていく様子を見たかった。酉の市でばったり、挨拶だけする、でも素敵なお母さんとお会いするのも嬉しかった。変わらない街の様子を記録し、小さな雑誌を作りたい、という夢もまだあります。近くには、「谷根千」というロールモデルもあります。仲間もそろいつつある、と思っていました。

 

とはいえ、何かをするときに、「ふさわしい場所」と「ふさわしいタイミング」というものがあります。今の私には、なにもかもは手一杯でした。少し体調を崩してみて、それをじっくりと、味わうことができました。まずは自分自身の健康と、そして、子どもの育ちを保証すること、夫がのびのびと自分らしく生きられるような働き方と生き方を、一緒に考え、実践すること。自分自身の目標や人生でしたいことが、いつのまにか様変わりしていることにも気付かされました。知らないうちに階段を登って、違う景色を見始めてしまった。すべてのフィルムを同時に映すことはできない。そういう感じです。

 

好きな人も好きなお店もいっぱいあります。また遊びにも来るはず。どなたか、次にこの家に住まわれる方が、幸せいっぱいでありますように。この街に住まわれてるたくさんの素敵な方たちが、そのまま、のびのびと次の世代にバトンを繋いでゆかれますように。川の流れがいくつもわかれても、行き先は海につながるように、古きものと新しきものが手に手を取って、2020年代の日本、東京のあたらしい美しい暮らしがありますようにと思いながら、荷物をせっせと詰めています。

小さな敗北宣言

ご無沙汰してました。というのが、枕詞みたいになりましたね。

この間、書いては消し、書いては消し、そうして、、ブログのテーマである千石のお家から、お引越しすることに決めました。「敗北宣言」とはおおげさですが、自分なりの理想に生きたかった自分を「青いなあ」と思い出しておきたくて。

 

ずっと住み続けたい、そのつもりで書いていました。今でも「あれっ」と思います。好きだな、という気持ちは変わらない。この場所を通じてたくさんの友達ができ、愛している場所はいっぱいある。お家にいると、木造家屋だから感じる外の空気の息遣いが心地よい。

 

でも一方で。自分自身の性質や、今の家族に必要なことと、ここでの暮らしがずれ始めてしまいました。学校や保育園との往復だけでへとへとになってしまったり、建具を壊さないかヒヤヒヤしたり。特に夏は、娘をちゃんと叱ることもできないほど、体調を長く崩していました。暮らしをつくるのは、まめな手入れと目。何より、体力がないこと(!)を、甘く見ていたと思います。幸運なことに、勤務先や学校や、いろいろな行き先との折り合いがつく場所があったので、しばらくそこで、家族と協力しながら、ゆっくり子どもも家族も育てられたらと思います。

 

書くことが好きな私にとって、言葉にならない、というのは、変化のサインです。書くことは、定義すること、今のわたしという現在地と、対象になるものを結ぶ想像上の線を地上に引くこと。地点があやふやでは、コンパスはおろしようがありません。

 

暮らしと仕事、暮らしと思いをつなげたい、という理想もあって、ここに住むことを楽しんでいたと思います。でも、今の私はまだまだ、未熟なようです。もう少し子育てにも暮らしにも熟練してから、またいつか、そんな暮らしや、地域のことに携われたらいいなと思います。

 

ブログ自体は、1年ぐらい残しておこうと思います。お世話になったご近所さんや、大家さんたちもお元気です。ノスタルジーではなく、今の時代にも、暮らしの中の温かさや、人の営みが生きている場所として。千石いいとこ、一度はおいで。

7月、千石の路上で

っっと、7月も終わりじゃないですか!

 

という定番のご挨拶は良いとして。この間話した祖母の四十九日があったと思えば、今度は父方の祖父が急逝しまして、田舎と東京を行ったり来たりしてました。その間に、千石では、前から素敵だな、と想っていた不忍通り沿いのお宅が壊され、マンションにとなろうとしています。

 

もともとわたしがこのブログをはじめようと思ったのは、こうしていくつかだけ残っている、木造の素敵な住まいを今に生きる形で残せないかと、他人ながらに感じたからです。それには、いなかの祖母の住まいのことがかかわっています。

 

祖母は田舎の本家の嫁で、祖父を亡くして数年後、火事でその家が全焼しています。次女だったうちの母は、よかったら一緒に住まないか、老後のこともあるから都会へ、と誘いました。でも頑として祖母はいなかにい続けた。そうして、80過ぎて一軒家を建て直したんです。その住まいは、いつも静謐に整えられて、本当に素敵だった。ああいう住まいがいま、なくなろうとしている。生活は、器によって変わるもの。だから、木造の住まいが亡くなったら、そこに紐付いた家事も身振りも、人間関係さえも失われてしまう。それは日本文化にとってあまりに喪失が深いのではないか、と思ったのです。

 

少し時が経ち、わたし自身の考え方も少し変わるようにもなっています。なにせ木造住宅は大変は大変だから。都会でのコンパクトな暮らしには、マンションのほうがあってるかもしれない。生活にかかる時間を減らしていくことで生まれる豊かさを、都会は享受するところなのかも。住まいよりも、そこに住んでいる人のこころが大事なのは言うまでもない。器が現代に合わなくなったなら、変わってしまうのも詮無いことかも。

 

答えが出てないまま、しばしさまよおうと思います。

 

そうそう、先日お話ししていたコンポストの講座で、「励ましあい会」がオンラインで結成され、みんなでちょこっとずつ悩みを共有したり、写真を送ったりしながら、植物を愛でる暮らしがはじまっています。都会で土を耕すことは、本当に本当に大事だと思う。この気候変動、食べもののこと、農家さんのことを思うと、自分で自分のものをつくれたらどんなにか安心か、とも。と、いいつつ、家事全般&植物いじりもそんなに得意ではないわたしのこと、今年はなんとかフウセンカズラさんが育ち始めたところ、なのですが!(半分は大家さん&ご近所さんがお水やりをしてくれているようなもの、、、!)

 

千石の路上をぶらりとすることがあったら、様々な植木鉢を眺めてみてください。存外楽しいですよ。

6月のご報告

 週に1回ぐらいは更新しよう、と思っていたのですが、気づけば一月が経ち。

 暮らしぶりも含めて憧れていた岐阜の祖母が先月、他界しました。天寿で老衰、数年かけて覚悟はしていたのですが、まだそこに慣れない日々です。四十九日には少し落ち着くと言うので、ちりぢりばらばらになった思考のかけらと、ぼうっとした魂を結び合わせるような気持ちで、普通の毎日を送ることにしています。

 

 祖母の家は田舎の本家(ほんや、とうちの地方では呼びます)だったので、溢れんばかりの布団と座布団、お茶碗が用意されています。いつでも親族郎党が集まって、数日泊まってもいいように。実際にみんなで泊まりに行けたのはいつかしらと、「テレビばっかり見てるのよ」と話してた、元気だったときの祖母のことを思います。大工さんが精出して作ったあの家も、いっとうお気に入りだった墓地も、静かにたたんで人におゆずりすることになりそうです。

 

 帰省をしながら、物質的な豊かさと精神的な豊かさのバランスについて考えていました。かつては、お金、経済、物質と、精神、魂、文化は互いに極同士、交わらないとされていた時期もあったと思います。その極北が大東亜戦争「欲しがりません勝つまでは」と、高度経済成長でしょうか。時代は下り、私たちの時代には、両方のまじりあった、ひとりひとりにとっての最適なバランスを模索する時期に入っていると思います。自分にとっての豊かさの基準はなんだろう、と、個人的にも考えはじめています。

 

 ひとつご報告。今年度の文京区景観づくり区民委員になりました。社会的包摂の観点を含んだ美しさを、景観づくりの中に提案したい、と作文を書き。具体的なお仕事はまだなのですが、「美しさ」「豊かさ」とはなにかを、まちのハードとソフトのあいだに橋を架けるように、考え続けられたなら、と思っています。

森を遊ぶ、その後(6/3 コンポスト・フォロー講座のおしらせ)

暑かったり肌寒かったり、今年は気候が変ですね。と、言いはじめて、もう何年になるのでしょうか。私が小学生の頃、米の不作でタイ米になり、大人たちが大騒ぎしていたのを思い出します。異常気象がいつものことになったのは、あの頃かななんて思ってみたり。

 

さて、先日開催のコンポスト講座、たくさんの方がはじめてくださったようです! ご近所さんたちで、メッセンジャーを使った「励まし合いグループ」ができ、そこにアドバイザーとして先輩コンポスター(造語)のお姉さんも入ってくださったりして、和気藹々とはこのことか! と。楽しいですよねえ、土を触るの。と言いつつ、実は個人的には、緑も庭仕事も億劫で、うちの前の小さな鉢植えたちは砂漠状態です。緑は好きなんだけど、まだ習慣になってなくって。いざ植物を植えようってなると、ついつい考えすぎてしまい、ぼうっとしてると2、3カ月意外と経ってしまうんですよね。コンポストも、ご近所さんと一緒だからこそ、なんとか!続けられてるようなもので。

 

と、そんな方にもおすすめ、第二回の講座が週末、開催されます。今回は、前回始められた方のフォローを中心にしつつ、でも今回から!という方にもご対応いただけるそう。本当にちょっとしたことから、相談に乗ってくださいますので、気になっていた方はぜひ。

「小さな森を育てよう! 台所からはじめる循環生活」フォローアップ講座
開催日時・場所は
日時:2018年6月3日(日)15:00~16:30
場所:千石たまご荘(文京区千石4丁目41‐3、2階)
参加費:1500円(ドリンク・小菓子つき)

申し込みは sengokufarm(@をいれてください)1000eggs.com

 

ローカルな場所としての東京

地方出身者として、東京に住みはじめてもうすぐ15年。途中、地元に戻ったり、横浜に住んだりと中断はありますが、学生時代に自分をつくりはじめるきっかけになったのがこの街で、自分で選んでここにいるので、悔いはありません。実は二回だけ、「東京を離れる?」という機会があったのですが、どちらも戻りませんでした。

 

一度目は震災すぐあと。当時、福島第一原発事故からの放射能を心配して、特に海外からの情報が早かった親友から、「一緒に、数日間でも西に逃げないか」と連絡が来ました。すこし考えましたが、育てる子どももおらず、社会との接点はメインが職業。公的な仕事に就いており、この土地の人のために献身する、という明確な目的が与えられていたのは、当時の精神的な健康のためにとてもよかったと思います。

 

二度目は、働いていた職場が地方に移転したときでした。そのときは随分未練もあって、半年近く、どうしようか、行ったり来たりでできないか、など夫にも相談しながら逡巡しました。小さい会社で、新しい試みができることもわかってたし、何より、一緒に働いている人たちのことも、やっている仕事も大好きだったから。2拠点で働けるほど、器用でも体が丈夫でもなかったし。でも、おかげさまで小さい時夢見たごとく、東京に籍がある人と結婚することができたし、自分にとって一緒にいたいのは家族だな、というのを、夫と、生まれる前の娘とが思い出させてくれました。

 

と、いうのは実生活上の話なのですが、そうした実際上のこととは別に、「ローカルな場所としての東京をずっと、見ていたい」という気持ちが確かに、ずっと、あります。二度目のときは仲間に「小文字のtokyoが好きだから」と言ってました。グローバルな都市、観光拠点、経済の中心地としてのTOKYO、ではなくて、生活者の東京、そこにずっと生き、死んでいった人たちの残していった東京、各々が自分の暮らしを営む場としてのtokyo。いろんな本や物語の影響はありますが、先日小沢健二のライブにいって、あー!このアイデアも彼からもらってたんだ! と気づいたのです。よかったら読んでみてください。

 

◎東京の街が奏でる(公式サイト、2012年のコンサート開催にあたって書かれた文章)

 

 

小沢健二のサイト上や連載「うさぎ!」、ライブでの朗読には、ローカリティというのが一つのテーマになっていると思います。彼らしい独特の言い回しですが、ヒントはそれこそ山のように詰め込まれています。それこそ小学生の時から、ずっとずっと小沢健二を読み、聴きして育ったので、今回みたいに、自分の底の方のアイデアに自然と入っていたのかも、と思うぐらい。

ほかにも、東京出身の人が近い範囲にとても多いので、「ローカルな場所としての」にすごく馴染みがあるのかもしれません。と、いえば、東京人からみた東京の傑作エッセイがあるので、その話はいずれまた。

一階のよろこび

先日、娘と学校から戻ってきたら、玄関で自転車を入れる様を見て、近くの友人が寄ってくれました。SNSでのおしゃべりのつづきをちょっと続けて、ほっとして。その後すぐに、別のご近所さんとおかずのわけっこをして、娘と送り合って、すぐにまた家に戻りました。

 

私の住む家は、2階建ての長屋です。玄関を出るとすぐ、外の世界がある。娘と暮らすようになってからというもの、もともと出不精のわたしには、すぐに外に出られるということは、なんともありがたいことです。友人のひとりが、「ガラガラ」と引き戸を横に開ける扉のことを、「きれいな境界線でいいね」と表現してくれましたが、まさにそれ。閉めてしまえばもちろん、自分たちだけのお家なのですが、少し開け放つだけで、自分と世界がリンクしていること、この世界に自分という存在がくるまれていることを素直に感じることができます。そう、外の世界は、決して、危険なだけのものではない。すぐに出られるということは、すぐに戻れることでもあり、外と繋がった暮らしは、顔を覚えてもらえる暮らしです。母子の時間が長く、人が好きな私にとっては、とてもよろこびのある環境です。

 

もともと日本の家づくりは、自然換気、窓を開け放って、自分と世界との境界線をあいまいにひくことで成立していました。それは、毎日移り変わる湿度と温度、光の具合、虫の声や花のかおりとともに、世界=自然の一部となって生きることです。*1

 

翻って現在建設されつつある高級マンション、特にタワーマンションの考え方は、人口換気。窓は基本開けないで、外の世界と自分の家を遮断して、プライバシーを最優先に生活します。それは、住まいの環境をまるごと、人工のもので覆い尽くすことです。もちろんその安心感、便利さは代えがたい。けれど、存在そのものがまだ、自然のほうに近いちいさな子どもにとって、それが果たして本当に最適な環境かどうか。タワーマンションというものが日本に建設されはじめて、まだ日も浅い。鳥の声も聞こえない部屋で、母子ふたりの孤独はいっそう耐え難いものにならないか、とも思います。

 

同じことは、高齢者向けの施設にもいえます。ここ千石にもいくつかあるそれは、一見マンションのような外観で、おそらく中の個室では、ひとりひとりがテレビをみながら過ごしている時間が長いでしょう。わたしの祖母がそうだったように。けれどもし、その施設に、小さなお庭と縁側があったなら。テレビの景色は流れども、コミュニティをつくることはできません。もし縁側に、まだ元気なみなさまがいらしたら、通りがかる子どもたちはどんなによろこぶことでしょうか。名前を知らなくても、通り過ぎるだけで、見守られている気持ちにお互いがなる、そんな空間は、一階だからこそ、生成可能なのです。

 

もともと、振り返れば山、という環境に育ち、小さい頃から自然のありがたさを肌身にしみて育ちました。文化度の高い都市生活に憧れて、東京生活のほうが今は馴染み深いです。けれど、子どもが生まれてこのかた特に思うのは、人為ではない、自然のやさしさ、豊穣さです。

 

忘れられない記憶があります。あれは幼稚園の年少、年中あたりの頃でしょうか。なんのきっかけか、お友だちと遊べずに、園庭に向かってひとり、座っていたときのことです。お母さんもいる、先生もいる、心が通わないのはわざとじゃないと子どもながらにわかっている。今思えば、特に幼い子どものこと、感情をぴったりとしたことばにする技術がなくて、自分でも持て余していたのだと思います。そのとき、見えた景色はわたしにやさしかった。つまらない日でも、悲しい瞬間も、木はいつものように笑っている。風が気持ちよく通り抜け、土はあたたかく足をなでる。ここにいてもいいのだな、と感じた初めての経験だったように思います。人間どうしでは、どうしても埋められない隙間がある。そのやさしさを、わたしはすべての子どもに、もちろん大人にも、感じてほしいと思うのです。

 

そんなことを考えながら、週末はちょこちょこと、この2冊を読み進めようと思います。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

 

こどもを育む環境、蝕む環境 (朝日選書)

こどもを育む環境、蝕む環境 (朝日選書)

 

 

 

 

 

 

*1:もちろんこれからの季節、虫との予期せぬ出会いは避けるべく、急ピッチで対策中です